院長エッセイ集 気ままに、あるがままに 本文へジャンプ


サド侯爵とマゾッホ男爵


 その日の処置についてくれたのは、人妻とは言ってもまだ幼さの残る、快活ではあるが清楚な感じのする看護師さんであった。他意はなくとも、自ずと会話も弾む。私の軽口が一段落した頃、ベッドサイドにあるテレビの声が私の耳に届いた。お昼のワイドショーかなんかだろう、ある凶悪犯罪の裁判の話題であった。縄で縛った無抵抗な家族や知人に電気ショックを与え、ついには死に至らしめた、背筋も凍る事件であった。犯人たちのサディスティックな行為を、レポーターは口角泡飛ばして解説する。テレビの声が小さかったからか、あるいは処置の準備に集中していたからか、向かいにいる看護師さんはその番組の内容に気づかない様にみえた。が次の瞬間、下からのぞき込むような潤んだ瞳をして私に聞いてきた。
「先生はSですかMですか?」
この看護師にいだいていたイメージと質問内容のギャップに私はたじろいだ。ひる日なか、このような会話を、しかも患者様の目の前で(意識障害のある患者様で会話の内容の把握は困難と思われるが)、しちゃったりしていいのだろうか?さらに私は、その質問に答えるだけの自己分析、心構えが出来ていない。さてどうする、どうするのよ〜私。
 
 サディズム、マゾヒズムという言葉は二人の文学者の名に由来する。マルキ・ド・サド侯爵は十八世紀のフランス貴族で、その常軌を逸した性的虐待、破廉恥な言動で生涯の三分の一以上を監獄で過ごした。獄中で書き始めた小説は、残虐な行為のオンパレードで長く発禁の憂き目を見たのは時代背景からすると、むしろ当然であったと言うべきであろう。サド侯爵から遅れること半世紀、レオポルド・フォン・ザッハーすなわちマゾッホ男爵はオーストリアの小説家で、彼の作品に見られる精神的・肉体的苦痛に快楽を見いだす性癖はマゾヒズムと名付けられた。小説だけでなく私生活でも自分が奴隷になるという契約を繰り返し、精神的にも肉体的にも支配されるという悦楽を享受したという。

 私は優しい人間である。蝿や蚊が飛んでいても、自らすすんで殺生はしない。細君に促されて、パチンとするくらいだ。ゴキブリにいたっては、一歩後方に退き、冷たい視線に耐えながら、細君の活躍を見守る。時々子供の尻を叩くが、それは厳しき庭の教えであり愛情の証だ。婦女子に手を挙げたことはただの一度もない。うんうん、サドではないなと思う。だが、はたしてそうと言い切れるのか。世間でバッシングにあっている渦中の人に対して、自分も責める側に雷同して、義憤とは名ばかりの、くすぐられるような快感を感じたことはなかったか。自分のことだから判断が難しい。細君はどうだろう。そうだあの時、細君は台所の片隅でうずくまりながら、くつくつと嗤っていた。どうしたのと聞くと、流しの端を指さして、蟻の巣コロリを蟻が運んでいると言う。見ると小さな円柱状の物質を蟻が一所懸命運んでいる。いたいけな生命の営みが哀れだ。さあどんどん巣に持ち帰って! 蟻は一族郎党全滅よ、ふふふと細君は再び忍び笑いを漏らした。彼女は間違いなくS系の人だ。それでは私はM系なのか? でも痛いのは嫌いだ。いじめられるのもいやだ。サウナで、もうこれ以上我慢できない状況に自らを追い込み陶然とすることはままあるが、これも病的とまでは言えまい。いや、それはマゾ的ですなと言われれば、そうかもしれないと思う。そもそもS系かM系かのどちらかに決めなければいけないということに無理があるのではないだろうか。調べてみると、SとMは対極にあるものではなく、相補的関係も特殊な場合に限るという。S系の人が他人を苛んでいる時、その苛まれている人に自らを重ね恍惚を得ると分析している人もいる。またM系の人は苛まれている時、それを客観的に見ている別のS系の自分がいて、その苛まれている姿を楽しんでいるとの研究もある。いじめられていた人が、突如として残虐な暴力に手を染める犯罪は稀ではない。SもMも実は表裏一体をなすメビウスの輪で、趣味とか嗜好といった表層的なものではなく、もっと深いところに根があるように感じる。人間が他者との関わりの中でしか、その存在意義を見いだせない社会的生物である限り、他人に対して、あるいは客体化しうる自己に対しての、残虐で奇怪な精神活動を消し去ることは出来ないのかもしれない。戦時下や独裁政権下の大量虐殺も、一部の人の精神構造の欠陥によるものと言うよりは、それを支持・容認する群集、あるいは不作為の罪に問われるべきより多くの人々の、無意識下のサディズムとマゾヒズムが利用された結果といえるのかも知れない。

「先生、どっちなんですか?」件の看護師が返事を迫る。
ど、どっちかと言われても・・・まだ自己分析が済んでいないのだが・・・と、しどろもどろしていると、ちょっときつい目をして看護師が二つの箱を差し出した。それはディスポ(使い捨て)の手袋を詰めた箱で、それぞれの箱にSサイズ、Mサイズと書かれてあった。気管カニューレ交換の際は院内感染予防のためディスポの手袋をする決まりだ。
「ああ、手袋ね。えーとエ、エムサイズ。」
「もう、しっかりしてください、先生。」
彼女はSで私はMだと一瞬で悟った。



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